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梅園と河津桜

日本平では例年2月頃に梅と河津桜が見頃を迎えます。
日本平梅園では、白梅・紅梅に加え、蝋梅など、約350本の梅が楽しめます。見ごろに合わせて設定された土日には「梅まつり」が開催されます。

  

 

石碑と記念撮影スポット

月日星の駐車場から日本平山頂にかけて、いくつかの石碑、記念碑が存在します。日本平と刻まれたモニュメントとして眺めるだけでも良いのですが、それぞれ石碑が建てられるに至った来歴があります。観光地としての歴史経緯を踏まえてこれら石碑をご覧いただくことで、旅の思い出がより一層深まるかもしれません。

駐車場入口に置かれた石碑

日本平駐車場整備工事(平成00年)の際に設置された石碑。裏面には「日本平は昭和26年3月6日に県立自然公園に、昭和34年6月17日に国の名勝に指定されました」と記載されています。

 

 

 

清水日本平パークウェイ脇の石碑

月日星正面左側(東側)、清水日本平パークウェイと日本平登山道路(旧道)の合流地点脇に建てられた石碑。昭和9年12月、日本平登山道路が開通した記念として建てられた石碑です。大正15年に徳富蘇峰が書いた紀行文により昭和2年に「日本百景」に選ばれた日本平ですが、この道路が開通する前は山登り、ハイキングで訪れる場所でした。失業対策として昭和5年に整備が開始されたこの登山道により、観光地としての日本平が発展することになりました。


電波塔へ向かう途中にある石碑

東展望台から電波塔へ向かう途中に設置された石碑です。「日本観光地百選第1位入選記念」と刻まれています。昭和25 年毎日新聞社主催の「日本観光地百選」平原の部、昭和54 年週間読売主催の「日本観光地百選」読者コンクール平原の部、日本平は「日本観光地百選」と呼ばれる人気投票で2度1位になったことがあります。こちらは昭和54年に受賞した時の記念碑です。


駐車場内に設置された石碑

もうひとつの「日本観光地百選」1位受賞記念碑は駐車場内に設置されています。「日本観光地百選首位当選」と刻まれた記念碑は、昭和25 年毎日新聞社主催の「日本観光地百選」平原の部で1位に選出されたときの記念碑です。「日本平」と刻まれた石碑と並んで撮影すると富士山を背景に入れ込めるため、定番の撮影スポットとなっています。


新しく設置された2つの石碑

山頂に向かう途中に駿河湾と富士山を一望できる見晴台が整備され、2つの石碑が設置されました。いずれもまだ新しく、平成25年の富士山世界文化遺産登録を記念して建てられたものです。
向かって右側の赤茶色の石碑は平成27年2月23日(富士山の日)に寄贈された石碑で、オモテ面には元内閣総理大臣中曽根康弘氏による題字「眺望の地 富士山」が刻まれています。向かって左側の石碑は平成27年6月に寄贈されたもので、オモテ面には梅原猛氏による題字「草木国土悉皆(しっかい)成仏 国土は富士なり」が刻まれています。この2つの石碑が設置された場所は見晴らしも良く、大人数での記念撮影に良く使われています。


吟望台

昭和5年、日本平観光の発展を図る道路整備に着手した清水市では、徳富蘇峰に委嘱して眺望の良い場所を4か所選び、それぞれ「望岳台」「超然台」「鐘秀台」「吟望台」と命名されました。4箇所には記念の石柱が建てられ、そのうちの一つが日本平山頂にある「吟望台」の石柱です。駿河湾、伊豆半島、富士山を一望できる絶景ポイントでもある吟望台は、近年では清水の港あかりを含めた夜景スポットとしても好評を得ています。


万葉歌碑

『水鳥の立ちの急ぎに父母に物言はず来けにて今ぞ悔しき』
駿河国の(有度山周辺で暮らした)人 有度部牛麻呂(うとべのうしまろ)の詠んだ歌が、原文と現代かなで刻まれています。防人(国境警備)として筑紫に派遣されることになった際に、慌しく連れ出される身上の心残りを詠んだものとされます。
昭和39年、書家の青山於莬氏が戦争で亡くなった息子を偲んで、実業家で歌人としても知られた大石徳四郎氏とともに建立したものです。

 

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